ホンダ ビートの根強い人気の理由
ホンダ ビート新車販売時の価格は約140万円でした。今現在、中古車情報サイトなどを見てみるとビートの中古車の平均価格は60万円前後となっています。現存する最も年式の新しい1996年モデルでもすでに20年以上が経過していることになりますが・・状態が良かったり限定モデルだったりすると新車価格以上の値を付けている中古車なんかも見かけます。
そんなビートが長く、そして根強く愛される理由と秘密はなんなのか。歴史と共に振り返りたいと思います。
バブル絶頂期の開発
ビートは1991年に発売されました。ビート発売時点でバブルははじけていましたが、1991年代前半の自動車業界はまだバブルの余韻が残っていました。というのも、新車開発には3年~4年の歳月がかけられることが多く、1990年代前半に発売される新車はいずれもバブル絶頂期に開発が進められていたからです。
エンジンは軽自動車規格内の排気量ですが、最高出力は業界自主規制の64馬力を自然吸気で実現し、最高回転数は毎分8500回転というものでした。これに5速マニュアルシフトが組み合わされたのです。台数を売ろうと考えたのならばATは必須だったと思いますが、ビートはあえてそこに背を向け「本格スポーツ」の道を目指しました。
高回転型エンジンで高い出力を出していること、オープンカーであることにより車体剛性の補強もなされており車両重量がやや重めであったために出足の加速はそれほど強くはありませんでした。ですが、最高回転数まで回して加速させた時のエンジン音の高鳴りは胸を躍らせるものがありました。
何より心を奪われたのはミッドシップスポーツカーであることでした。
ホンダの軽自動車は「N360」の発売以来その多くが前輪駆動による合理性を追及する型式をとってきましたが、そもそもホンダが4輪自動車へ参入するにあたって開発した「T360」という軽トラックはミッドシップの後輪駆動でした。それを活用したバモスホンダのように独創的、かつ後輪駆動の軽自動車も存在します。合理性を徹底する大衆車の一方で、他に類を見ない独創的なクルマを生みだすのもホンダなのです。その心意気を1990年代に示したのがビートであったともいえます。
そして、ビートは非常に革命的なクルマでもありました。「日本初」や「世界初」が非常に多いクルマなのです。
前述したミッドシップレイアウトを軽自動車に採用したのもビートが初ですし、そもそもミッドシップのフルオープンモノコックボディというのも世界初なんです。さらに、SRSエアバッグを軽自動車に採用したのもビートが初です。
フェラーリなどの常套手段を軽スポーツカーで実現
ミッドシップであることによって、クルマの前後重量配分は50:50ではなく後輪側が重くなる傾向にあります、それによって後輪の負担が増えることからビートは前輪と後輪とでタイヤ寸法を変え、前輪は小径、後輪は大径の組み合わせになっています。それは世界の高性能ミッドシップスポーツカー、例えばフェラーリなどの常套手段であり、それを軽スポーツカーで実現したことがファンの心を奪ったのです。
世界のミッドシップスポーツカーを手に入れるなら数千万円の価格を覚悟しなければなりません、ですがビートは軽自動車価格で、しかもオープンカーとして実現したのです。ビートの登場はとても衝撃的なものでした。
しかし、世の中のビートへの評価は当時はあまり高まりませんでした。同じ年にスズキ カプチーノが発売されそちらの方に人々の注目が集まりました。
カプチーノはいわゆるFR(フロントエンジンで後輪駆動)の2人乗りスポーツカーで、ハードトップを3分割することによって、オープン/タルガトップ/Tバールーフの3通りに組み換えが可能でした。ビートの幌に比べ、カプチーノのハードトップの方が露店の駐車場に停める際にも安心感があり、対候性も高いと消費者に好まれました。
現在、カプチーノの中古車もビートと同様以上の高値で取引されています。
分かりやすさが人気を集めた時代
バブル期はクルマに限らず、何においても単純明快で刺激の強いことが好まれ、味わい深いといった滋味は評価されにくい時代であったといえるでしょう。
バブルの恩恵で、自然吸気エンジンのミッドシップオープンスポーツカーとターボエンジンを搭載したFRスポーツカーという、同じ軽スポーツカーといえども選択肢があったことは非常に恵まれた時代であったと言えます。その中で当時注目を集めたのは分かりやすいカプチーノでした。
しかしバブル崩壊後、景気の回復はあったとしても低成長時代となると、地道に安定した生活を維持して不安要素を排除したいという機運が高まります。そこに、クルマとの対話を楽しみながら、かみしめるほど味わいを伝えてくるビートの良さが浸透した始めたのでしょう。瞬発力はそれほどでなくとも、ミッドシップによる挙動の一つ一つを確かめつつ運転する喜びが見直されました。
繊細なアクセルを必要とするミッドシップカー
ミッドシップカーは後輪荷重が大きいため、ことにカーブではタイヤのグリップを確かめながら繊細なアクセル操作が必要とされます。一方の前輪は、荷重が少ないことからハンドル操作に対する手ごたえが得にくい場合があり、同じく繊細な操作が求められます。タイヤのグリップを確かめつつ、アクセルやハンドルを操作するためには、自分の操作に対するクルマの応答を確かめるという対話が不可欠となります。その奥行きは深く、長いものであるといえます。
現存率6割!落ちることのないビート人気にホンダもサポートを
しかしながら、どうしてビートは1代限りで生産終了になってしまったのでしょうか・・・
直接の理由は平成8年(1996年)9月の軽自動車規格変更と、それと前後して生じていた「RVブーム」です。
RVというのは「レクリエーショナル・ヴィークル」の頭文字で、そのころには今でいうSUVやクロカン四駆、ミニバンあたりがごっちゃになった勢力が大人気となっていたのです。
そして大人気となったRVの代わりに衰退していったのが、セダンやビートのようなスポーツカー、あるいはスペシャリティカーと呼ばれるクーペなどでした。そういった世の中の変化があったせいで90年代半ば、ビートの販売台数は大きく落ち込みます。そしてホンダには、軽自動車の新規格に合わせてビートのモデルチェンジを行うという選択肢はありませんでした。
なぜならば、やや出遅れていたRV開発に注力することこそが営利を目的とする企業としては正しい道筋だったからです。
こうしてホンダ ビートは惜しまれながら生産終了となったのです。
ビートの総生産台数は3万3892台でしたが、その約6割、具体的には1万9759台が現存しているといいます。※2016年末時点
これは国産車としては異例で、現存率7割以上と言われるポルシェの数字にも迫るものです。
そしてホンダも2017年夏「ビートをより長く楽しんでいただきたい」というコメントと共に、一部純正部品の生産を再開しました。
とにかくビートというクルマは人々に愛され、そして今なお愛され続けているのです。
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